『日本の数学』 小倉 金之助 著 1940,1964

日本の数学 (岩波新書 赤版 (61))

日本の数学 (岩波新書 赤版 (61))

 本の醍醐味は、もうとっくに亡くなっている人の感性を時間を越えて読みとることができるところにあると思うのです。この本も、昭和十四年のラジオ講演を元に翌年刊行され、それから二十四年後(昭和三十九年)に改版されたものです。
 ラジオ講演に基づいているので、当時のおじいさんの話し方を感じるといった別の目的にもよいかなと思います。
(「ゐ」とか「ゑ」とか、「・・しませう」なんてのは、改版されたときに替えられているようです)
 五日間の講演だったそうで、さぁっと読み通せる平易な言葉で書かれています。ここは、
ちょっと紙と鉛筆を使って計算しないと理解できないといったところはありません。
 そもそも、江戸時代に発達した日本独特の数学である「和算」という「文化」についての話なので、人間の物語なのです。
 この「和算」が、大変高いレベルまで発達したにも関わらず、明治以降ぷっつりとなくなった理由を、作者は、明解に言ってのけています。
和算は、「無用の用」(役に立たないもの)として「芸に遊ぶもの」として、特殊な発展を遂げた。明治維新以後は、和算を切り、西洋数学を取り入れた。と、
 日本人の数学は、武芸に近いものであったのではないでしょうか。江戸時代の剣豪が、剣を捨てピストルを持ち、その性能を上げるためにお金を払う。といった、明治以降の構造が、和算にも流れたのではないかと思います。
 学校教育の渦中の子どもたちが、「数学なんて、買い物ができる程度でいい」というのもある意味で、現実逃避だと考えるのです。
そもそも「勉強」とはなにか「進学」とはなにかといったことが、社会の中でゆがんできた結果ではなかろうかと。(なんか難しくなってきたなぁ)
 作者は、「科学的精神、数理的教養を欠いた国民の中から、数学の天才を生むことも、また真に実力ある国家を建設することも、期待することが出来ない」と言っていますが、現代の一国民としては、「楽しく生活できりゃいいんじゃないの」ですから、もう一度、和算的発想に戻って、数学を楽しむのもいいと思うのです。
 今なら、鎖国的閉鎖的な和算でなく、国際的で個性的な和算だってアリではないでしょうか。